人生にも慣性の法則が働いていて、壁にぶつかるまでは同じことを繰り返す。
運動する物体に力が働かないとき、その物体は慣性系に対し運動状態を変えず、等速直線運動を続ける。
つまり、ある考え方が正しいと思って動いている間は、何か障害や壁など抵抗が現れるまでは、その考え方は正しいとの前提に立って、同じ行動を続けます。
ただ、往々にして人生未熟なうちに正しいと思うことは、どこか微妙にずれていたり、勘違いしていたり、そもそも真向から間違っていたりします。
でも、人は、何かをその瞬間信じなければ、行動ができないから、何かを信じ、それに従い行動するのはある意味仕方のないことなんです。
オカルト教団とかが、事件を起こして壊滅されるまでは、狂信的な結束力と行動力を示すのも似たようなところがあって、その時は、その考え方が絶対であって、その考えに従った行動を続けます。
そして、壁にぶつかったとき、我に返る。物体が抵抗を受けて初めて、運動状態を変えるのと同じです。反発したり、そこに立ち止ってみたり。
ただし、それなりに大きな抵抗じゃないと、運動は続きます。
大切なことは、若干の抵抗や違和感に出会ったときでも、自分の考え方を他人の目で見て、本当に正しいかを疑い、修正をかけることです。
大きなクラッシュがあると人はたいてい考えます。
大きなクラッシュを経ても人生考え直さないとなると、それはまずい。
再犯を繰り返します。
でも小さなノイズであっても、逐一客観的に再考することができると人生はより進化していきます。
運動を微調整しながら動いていく。
間違っていると思ったら、朝令暮改であっても自ら抵抗となり、運動を止める。
大きなクラッシュで大きく考え直すことは、もちろん大切。
しかし、小さな抵抗で考え直すことができることはもっと大切。
なぜなら小さな抵抗で考え直していければそもそも大きなクラッシュにはつながらないから。
いずれかの対処すらないと、しばらくするとまた同じ考え方に従い、同じ運動を再開します。
気づいたときには、同じ道を通り、同じ壁にぶつかり、また同じ道を通り同じ壁にぶつかり、ということを繰り返し全く進んでいなかったことに気が付くと。
でも、それに気づいたときには、歳を食っているわけです。
前に進む時間は限られます。
だから、クラッシュの有無問わず、微修正と大きな修正を適宜かけていかないといけない。
一応お伝えしておくと、そもそもですが、若い頃から当初より正しい考え方に従って正しい方向に動ける人というのは、100万人に1人ぐらいのイメージ感だと思います。
多くの場合は間違った考え方でスタートします。
その後、間違ったままで終わるか、間違いがエスカレートするか、あるいは、正しい考え方に基づく正しい運動に修正されていくか、このどちらかです。
私は、微修正が苦手です。大きなクラッシュがないと、変われません。
だから、思ったままに突き抜けてくるしかなかった。
でもこれからは大きなクラッシュよりも、若干の違和感で微修正していける人間になりたい。
私はかなりのダメ人間なので人一倍わかるのですが、正しい考え方を身に付けるというのは、運動を開始する以前に重要なことであり、難しいことでもあります。
かつて諸葛亮孔明など優秀な軍師が、先に山で学問を修養してから後に下山し、現実世界で行動を開始したというのに通じるものを感じます。
行動力があっても反省力がなければ意味がなく、一方、スタートの考え方が間違っていると、ものすごく人生的に遠回りもあります。
そして、最後にお伝えしておきたいのが、静止した物体に力が働かないとき、その物体は慣性系に対し静止を続ける。
という慣性の法則の逆テーゼについてです。
つまり、動かない人は、動くきっかけができない限り動かない、ということです。
動いて失敗して、修正しない人も問題ですが、そもそも運動を開始しない人も問題だということです。
当然、別の場所に進むことはありません。つまり、人生で何もなすことはありません。
人が動くきっかけは影響です。
影響が運動の始まりです。
一方、感受性がないと、影響を受けません。
影響を受けるためには、細かいことまで観察しようとする能動的な意思が必要です。
その上でプラスの影響を受けるか、マイナスの影響を受けるかは、その人の心の安定性とそれまでの経験によるのだと思います。
影響を受けると何等かの考え方に基づき人は、行動するようになります。
人生は、正しい考え方に出会い、正しい方向に運動を続けることで変わっていきます。
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